著作物というインフラ

二次創作や、それを使ったマッシュアップというのはオリジナルの著作物というベースがなければ成り立たないことなのかもしれない。が、そんなことを言ってしまったら切りがない。電器産業は電気がなければすべて成り立たないし、インターネット産業もまずはインフラありきである。

それは、皆が一定額を払えば自由に利用できるものであるべきではないか。「ドラえもん」はもはやインフラなのではないだろうか。

著作権が目指したのはそこではないかと思うんだけど、どうでしょう。著作権のしくみを学ぶ上で、最も基本となる部分が著作権法第一条で述べられている。

著作権法
第一条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

著作者の権利を守るのは、最終的には文化の発展に寄与することを達成されることが必要。著作者の経済的利益を守るのは手段のひとつであって目的ではないことに注意しなければいけない。権利保護のためによかれと思ってした行為が結果的に文化の発展に寄与するのか、破壊や停滞を招くのかはその時点では判断できることは難しいのは確か。しかし、(基準は難しいけども)二次創作が多数確認でき、多数の公衆に認知されたような著作物は、すでにひとつの文化を形成しているものと考えることができるわけで、急激な権利運用方針の転換はその文化を破壊するリスクを孕んでいる。それだけ大きな影響力を持った著作物についてはインフラのように運用して行くことは、著作権保持者の経済利益と派生文化の発展の両者を安定・持続させる効果を生むと思うんだな。

著作権管理団体は、ある程度成長した著作物について、そのような権利運用の落としどころをつけるためのマネージメントに徹するような組織であってほしいと願う。